愛した男はADHDでした。

はじめまして、さくらです。結婚10年めで、夫タクミさんがADHDと判明。日々の迷いと決意を綴ります。

ADHD夫は子の授業参観45分を我慢できない。ASD夫はそれを学校からの拘束と感じる。

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これは上の子が1年生になって初めての授業参観のときの話です。

 

授業の内容は算数でした。1年生のはじめなので、まだ「いけにカエルが2ひきいました。あとから1ぴききました。ぜんぶでなんひきでしょう?」とかを絵を見ながら考えるような、そんな微笑ましい授業です。

ごくごく簡単な足し算の授業。タクミさんは5分で飽きてしまいました。壁に貼ってある掲示物なんかを見始める。朝顔の種を植える絵日記。運動会の絵。クラスメイトの係一覧表。時間割。だいたい見終わるとスマホを取り出します。ここで肘をつつく私。「授業中にスマホ見ないで」うんとうなずいてスマホをしまうタクミさん。「俺、授業の内容は把握したから、ちょっと学校内を見に行ってくるよ」

 

は?

 

まだ授業スタートして15分。
そもそも今日は授業参観でしょ?「授業の内容を把握したから」って出て行く親がいる?

 

もうでもタクミさんはあきらかに落ち着かなくてそわそわしていて、私も授業中に教室で夫婦でやり合うことはできず、うなずいて彼を送り出しました。きょうだいの授業を見るために途中退室する保護者もいるし、静かにいなくなる分にはそれほど目立ちません。結局そのままタクミさんは教室には帰ってきませんでした。

 

その日の夜。

 

授業参観なのに途中退室するなんてちょっとひどいんじゃない?
「なぜ? 内容はわかったし、それ以上いる必要はないでしょ」
授業の内容を理解することが授業参観の目的じゃないでしょう。子どもが授業を受けている姿を見ることそのものが目的なんだから、授業が終わるまでは教室にいるべきだわ。
「受けている姿は見たし、ちゃんと授業を聴いているのもわかったし、その目的は達成されているよ。それ以上なんで拘束されなきゃいけないんだよ」
拘束ではないよ。私たち保護者がきっと我が子の授業を見たいだろうと思って学校が設定してくれているんじゃない。
「じゃあ途中で退室したってかまわないでしょう。そこは自由参加でしょう? 来ていない親だっているだろう」
でも、パパがみてくれていたら子は嬉しいとおもう。パパが途中でいなくなったら子はさみしいとおもう。
「別に途中退室したからさみしいとか言われていない」
じゃあ言われたら最後までいてくれたの?
「いや、それは無理だけどね。もういい?」

 

話の途中でタクミさんは話すこと自体に飽きてしまった。こうなると話し合いはできなくて、単にその場その場で私の台詞に言い返しているだけになってしまいます。

 

なぜ子どもの授業参観が「拘束」なんだろう。小学校に入学した我が子が机に座って授業を受けているのを一緒に見て喜び合いたい。ごく普通の感覚だと思うのに。


だけどタクミさんの普通は違う。タクミさんは意地悪で「授業参観は5分で充分」って言ってるんじゃなくて、これが彼の普通、ごくごく正直に本音を言ってるだけなんだ。
どうしたらいいんだろう。